毒親への葛藤を綴るブログ(精神的、性的、肉体的虐待)

親から性的虐待○心身的虐待を受けてきた女性のブログ

心の整理の為、久しぶりにブログを書いてみる気になった。

最近の母との関係は、母の日、父の日、私の誕生日、両親の誕生日にプレゼントを贈り贈られ、それをラインでお礼の連絡と取り合うぐらいです。

 

で、こないだの母の日に、贈り物恒例の物をを贈り、ラインでお礼のやりとりをした翌日、腹違いの父違いの妹とお野菜のタネを相談しながら買ってきたので、無事に育ったら私に贈りたいということで連絡が来ました。

わたしは予感していました。

出来るだけ必要最低限以外は連絡を取らないようにするのは大事ですが、その他に、打つ文章も近づき過ぎず遠すぎずの敬語で返信をいつもしていました。

母的にはずっとその返信の仕方が嫌だったようで、普通にお話ししたいと言われました。

 

なので、私の気持ちをラインで返しました。

ここ数年のラインのやりとりで、母は私に優しいことばだけをかけてくれる内容でしたが、やっぱり30歳過ぎまで度々行われてきた、人のせいばかりにしてきた都合主義罵倒や、実家で暮らしてきた暴力暴言性的虐待などがフラッシュバックすることがあると伝えました。

 

そしたら母の意見は、私のことを「罵倒ばかりして歪んだ性格」

と私のことを判断したみたいです。

そして「過去のことばかり気にしているけど、私が(母)面倒みた素敵な思い出は全て忘れて、嫌なことばかり覚えてるのね、貴方は(私)」

 

私は思いました、母さん、心的外傷後ストレス障害からのアスペルガーを何十年も前から発症していて、最近は歳のせいもあり、行ってきた犯罪を美化してきているんだなと。

母がいう面倒みた素敵な思い出というのが、私が小学二年生の時に肺炎と喘息で入院していたのですが、その時にずっと世話をして看病していたということです。

その記憶を私が忘れたものだと思っているのです。

 

その記憶ははっきりと覚えています。

むしろ私のその思い出のメインは別のとこにあります。

退院してしばらくしたら、喫煙家の母は私の目の前でタバコをよく吸っていました。

私はタバコの煙が得意ではなく、ぜんそくが怖いからタバコやめて欲しいと伝えたことがありました。

そうしたら、「あんたがいるからイライラしてタバコ辞められないんのわかってんのか!?」と大声で罵倒始めました。

肉体的暴力が怖くて、ごめんなさいと泣いて許してもらいました。

 

母の私に対するそういう甘さは大人になっても続いていました。

なので私も心的外傷ストレス障害になり、結婚をして自分の家ができて、距離を置きたい気持ちになり、ラインも遠からず近からずの関係を保つ文章を打ってましたが、

母にはほぼ理解がないようです。

ここ数年間、母は子供に罵倒される親ほど惨めなものはないと、見るも無残な姿になってしまったとラインで言われました。

 

私に対して、

「過去ばかり歪んだ記憶を残さないで、前向きに生きて欲しい」

「貴方のこと、産まなきゃ良かったなんて一度も思ったこともない」

と、母の今の願いだそうです。

 

散々、叩きながら蹴り飛ばしながら、実の父に顔が似ているからムカつく!あんたなんかいなければいい!あんたのせで!とか、産まなければ良かった!とか平気で言ってきた母が母の日の直後に過去の過ちを過ちとも思わなくなり、記憶を美化して、そういうラインメールを受け取った時は、ぞぞっと!鳥肌が立ちました。

 

その内容の返信を悩んで考えていた時、時間が経ったので母がもう一度私にラインをよこしました。

 

「私が(母)産まれてこなければ良かった」

 

それって、母が産まれてないから、私も産まれてないってことですよね?

記憶を美化して前向きに生きて欲しいと思っていながら、「私が(母)産まれてこなければ良かった」なんて送られてきて、再び鳥肌が立ちました。

 

なので、前向きに生きようとしているのに、そういうこと言わないでくださいと伝えたけど、歪んだ性格と受け止められてしまったようです。

 

一番のゾゾっとピークはその後のラインメール

「当時はまだ若かったけど、今は少し大人になったから、きっと今子供がいたら、ひな鳥のようにずっと抱えて離さない」

 

えええええ!歳と共に母の脳内は悪化してきている。

なぜ自分の母親がそんなことになってしまったのか、、、しばらく心が痛み続けました。

 

義理の父は、そんな母を昔から理解して私に性的虐待を続けたてきてたのだと思う。

 

まだ私が結婚する前、自分の家庭もなかったので、母に対して私は一番の味方でいることを思っていたけど、自分の家庭を持ち我慢することができなくなり、違うことは違うと伝えると、それは歪んだことで、結婚して居場所ができる前になんでそういうことを言ってくれなかったのかと思っているようです。

母自身が痛みの中で暮らしているので、私の心の痛みを感じられない発言は続きました。

 

余談ですが、母と義理父が写った写真、私がシャッターを切ったやつを見ると、夫婦同じような支配者的な笑みを浮かべて写っていました。

知人にその写真を見せたところの第一声「二人とも意地悪そう」

 

ちなみに、私と母のこの数年間の関係事実を知っている義理の妹は、何が正解か不正解かとかではく、義理父の会社で勤めていて、母と近くで生活する上で、母の気持ちを最優先しているのですが、それでも義理の妹の心奥深くでは、また別の気持ちがあると思います。

こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、いつか母が亡くなったときには、「母の為に尽くしてきた代償で結婚もできずに子供も作れなかった!子供なら責任とって!」

とか言われそうです。

 

私が思うのはただ一つ。

親と子の関係のジレンマもこの世の試練だと思うけれど、早く楽になりたいな!

って思う。

なので、もし自分が近々癌などの病気になっても治療はしたくないし、かと言って本当に死を望んでいるわけではないけど、くる時がきたら楽になりたいって思っています。

 

子に先立たれる親の気持ち、凄く辛いらしいけど、

それは母も同じ気持ちだと思うけど、

それしか終わらせることが出来ない試練だと思っています。

 

縁を切ろうが切らまいが、母に先立たれようが、この気持ちは変わらないと思う。

 

子供が出来たら母の気持ちが分かるとラインで言われたとき、そんな苦痛を分からせたいのか?と歪んだ気持ちを思えてしまうほど、母が私に言う立場じゃないことを母の気持ちとして訴えてきたりするから、これは母自身が産まれてからずっと受けてきた環境の心的外傷後ストレス障害からの併発したアスペルガーじゃないかなと私は思っています。

母と一緒に住んでいる義理父や近くに住んでいる義理の妹は、本心では母のことなんてどうでもいいと思っているので、精神科に連れて行こうなんて思っていないのだと思います。

とりあえず母の意見を受け入れて今を過ごす。でも将来覚えてろよ!

って感じだと思います。

 

なので、今私が母に少しでも期待することがあるならば、ボケる前や死ぬ前までにはきちんと義理の父と妹をは縁を切ってから老人ホームに行くなりなんなりして下さいと思っています。

 

死んでから迷惑かけないで欲しい。

 

だから、自分が先に死ぬことにもありだと思ってしまう。

 これは母にしてみたら歪んだ性格なのでしょう。

 

母のことを精神的な病気と私は勝手に思っているけど、病気なら病気の人に対して憎むのは可哀想だし、能天気な脳内になりたい。(能天気なとこも多々ありますが)

 

母と少し距離を置いて、ラインでは私に対する思いやりの対応を続けてきた母が、実は悪化していた、やっぱり悪化していると勘で思ってた恐怖がその通りになってたというブログでした。

 

母には何が必要か、何をして欲しいのか、何が一番良いことなのか、

近くにいる家族が精神病院に連れて行かないなら、私が病院へ連れて行くことが一番必要とされていることなのか?

 

母が苦しい中で思うことは、本音じゃなくてもやらなくてはいけいと思っていることは、居場所のために家事をする。

そういうことらしい。

 

誤った道に手を差し伸べてあげたいけど、それは母には誤った道ではなくて、母の生きる道で、70才間近の母に突然その生活を変えさせるべきなのか、どのように手を差し伸べたらいいのか、少し思ってしまうところもある。

私自身も母に手を差し出すことに恐怖がある。

心の穴を求めれば求めるほど傷が深くなる関係に手をつっこみたくないね。

 過去があっての今がある。

今があっての過去がある。

 

実はとっても簡単なことなのかもしれないが、出来た心の傷の問題は簡単じゃない。

 

 

 

今日はこれから、自称デスノートと呼んでいる黒いノートに、理想の家族の風景を描きながら少し休みたいと思います。

何故かデスノートにその時々の空想な世界を描き上げると、睡魔が来て不眠対策になるという効果があります。