毒親への葛藤を綴るブログ(精神的、性的、肉体的虐待)

親から性的虐待○心身的虐待を受けてきた女性のブログ

『私』か『母』どちらかが死なないと終わらないのは確実だ。

こんばんは。

少しだけ久しぶりの記事になりますね。

 

記事は久しぶりですが、毎日毎時間毎分ごとに地獄の世界へ陥ってる日々は変わりません。

いつ終わるのかな?なんて、生命を終わらせてしまわないと永遠に続くんだなと思っています。

 

子供の頃や大人になっても若い頃は体力も気力もあり、仮面でどうにかどうにかと乗り越えてきましたが、もう最近は体力も気力もどんどん地獄に耐えられないようになってきました。

耐えられなくても地獄は襲ってくるので、身体が蝕まれていく感じをひしひし押し寄せてきてます。

 

最初から仮面で我慢せずに、もっともっとやさぐれたり、警察や相談所などに行けるような強い精神だったら良かったのになと、今更後悔しても遅いですね。

 

私の仮面は母の為の優しさではなく、自分自身の弱さだったのでしょう。

 

死ななくても、母の日も父の日も誕生日も一切連絡もせずプレゼントも贈らず、携帯も新しくして連絡先を教えず、家も引っ越して住所も教えず、いつか子供が出来ても存在を教えず、赤の他人として生きられる強さが欲しいです。

そのぐらい出来ないと、一度きりの人生は終わりだと思う。

 

もう既に終わってるようで、希望はある。

けどそこには強さが必要である。

 

一般の人からにしてみたら、その強さの方向が理解出来ないわけではないだろうけど、自分の家庭はそこまでじゃなくて良かったって思うでしょうね。

 

旦那とたまによく話すことがあるんです。

もし子供が出来て、無事産まれたとして、孫を合わせに実家に帰った時に、虐待されたらどうする?

とか

赤ちゃんの時に何もされなかったとしても、性的なことでこれはいけないっていう物心がつく前にいたずらされたりしたらどうする?

とか話したことあるんです。

 

旦那は、そういうことされたら警察に届ければいいとか、ずっと目を離さなければいいとか言うのですが、ずっとずっと目を離さずってことはまず無理ですし、警察に届けるってことは、なにかされてからの前提の流れなので、最初からそういう被害をうけさせたくないと思うのは考え過ぎなのかな?

 

私が子供の時よりも両親を歳を取って老いて、若い時見たいに性的な欲は抑えられる可能性のが確率高いで性的虐待のリスクは低いのかもしれないけど、

合わせたくないのはそれだけが理由ではいし、その理由は死なないと終わらないことなので、子供が20歳になるまでは子供の存在を隠すことは出来なくとも、『逢わせない』を覚悟できる強さがないと想像するだけで恐怖で、その恐怖の中で生きる親を持つ子供なんてとても可哀想でならない。

 

安易に親戚や世間を考えとか親に孫を見せてあげたいとかの理由で子供を産むことは考えられないです。

 

Facebookでも最近出産した方がいました。

おめでとうっ!って気持ちよりも、私の環境にはない、幸せの家族の風景の写真を載せていて少し辛い気持ちも否めないですね。

まず安心して出産前後を実家で過ごしたり、赤ちゃんを祖母祖父が幸せそうな顔で抱いている写真などの幸せな一枚一枚を見ると、心と身体が蝕まれてるような感覚になります。

 

この子は普通の家庭に育って、いろいろありながらも親に感謝して、妊娠して赤ちゃんを産んで、祖母祖父のサポートを受けながら安心して赤ちゃんを触らせてあげられる、普通の人であれば当たり前の風景が私はとても難し、羨ましいとも思わない。

むしろ自分の場合を想像して恐怖しかない。

 

母は思うでしょう、「好きに旅行とかして元気じゃないの」って。

どこにいても何をしてても、貴方という恐怖はつきまとって凄く邪魔です。

死んだとしても過去は消えないけどれど、新しい恐怖はもう無くなる。

過去も消したいなら、相手の死を望むより、自分が死ねばいい。

 

みんな、死ぬ勇気なんてない。

死ねる人は強い。

『そんなのは強くなんかない』って言う人は、とても優しい人で強い人なんだと思う。

私も、そっち側の人間になりたい。